カレンダー販売から始まった青葉堂印刷の歩み

一貫生産体制から生まれる多彩なカレンダー類をはじめ、一般商業印刷物、販促物と多彩な製品群。
 同社の前身である青葉堂が米沢市に創業したのは、1957年、ちょうど今年が50周年になる。先代・中村貞雄氏は、米沢市駅前にカレンダー、うちわ、広告マッチなどの販売を行う青葉堂を創業する。そして、1970年には活版印刷を開始し、印刷業に参入。5年後の1975年に株式会社青葉堂印刷を設立する。こうした創業時の経緯から同社はカレンダー印刷を中心に事業を展開してきた。
 1990年、中村貞雄氏が70歳のときに会長となり、中村隆志氏が代表取締役社長に就任する。
 「カレンダーの販売から印刷へと守備範囲を広げ、カレンダー印刷を中心に、一般商業印刷も行い、印刷機も1台2台と買い足して、成長してきました」(中村社長)
 2000年には同業他社に先駆けて、金具を使わない環境対応型カレンダー製本機「タンザック」を導入する。現在はこの「タンザック」による紙加工方式がカレンダー製本の主流になりつつあるという。環境の時代という将来を見据えた英断であった。
 こうして順調に業績を拡大する中、2001年に中村貞雄会長が逝去される。その後の会社経営の方向について、中村社長が一番悩まれた時期だったという。父から託された会社の舵をどう取るべきか。重責を感じられたことは想像に難くない。そして、カレンダーに特化した印刷会社へと、さらなる前進の決断。中村社長は積極的に動く。各地の先進的な印刷会社の視察におもむき、そのノウハウを学ぶ。2001年のうちに、CTPと工程管理ステムを導入する。また、中村啓二専務の提案で「5S運動」にも取り組んだ。この成果と課題から、ISO9001に取り組み、顧客満足という大きなテーマが見えてきた。
 中村社長はこう語る。
 「カレンダー印刷は季節変動の波が大きい分野です。できれば、当社としては、お客様からできるだけ前倒しで注文をいただきたいと常々思っていました。しかし、この考え方ではいけないのですね。お客様は欲しいときに発注して、できるだけ早く手にしたいのです。これに応えることこそが、顧客満足です。印刷会社として成長し続けるには、顧客満足の追求が大前提です。お客様の声に最大限応えうるハードソフト面の充実が必要なのですね」
 この意識変革から、同社のカレンダー生産一貫体制はさらに加速する。2004年に山形県の経営革新支援法の融資を受け、企画・デザイン、DTP制作、CTP、印刷、製本、出荷までを同じ工場で一貫生産できる体制へ前進していく。
 さらに2005年には東京営業所(東京都港区青山)の開設、ISO14001の取得、そして、2007年の新社屋・工場の全面移転と、めまぐるしく行動を起こしてきた。
金具を使わない環境対応型のカレンダー製本機「タンザック」3台が稼働する製本室。
大量の用紙が保管される倉庫。 出荷を待つカレンダーが山積みされる製品倉庫。
 東京営業所と場所を同じくするグループ企業である株式会社ポッシュは、一味違った企画会社として、各種の企画などを手がけている。ここで受注した印刷物は青葉堂印刷で印刷することになる。
 「カレンダー生産は、季節変動が大きく現在は繁忙期のみの2交代制です。出来れば年間を通じてこのシフトを組むことができないかと考えています。また体制面でもまだまだ充実していきたいところは多々あります。例えば、作業者不足をハード面でカバーすることも考えています」と中村社長はさらに新たな手を打とうとしている。