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| 昨年竣工したばかりの若草印刷の新社屋。 |
田村 英司氏の印刷との関わりは、東京の印刷会社への集団就職から始まる。活版印刷の技術を身に付けた田村青年は、地元・下仁田町の印刷会社に請われてUターン、文選、植字、機械、製本と何でもこなし、仕事がなくなると営業も行う獅子奮迅の働きで、印刷会社の経営ノウハウを習得。
そして、1964(昭和39)年、東京オリンピックの年。結婚を機に27歳で独立。下仁田町で夫婦2人の活版印刷会社「若草印刷」を創業した。社名は、当時の応援者であった地元信用組合の理事長さんの命名である。
創業当初は、地元の商工会からなかなか相手にしてもらえなかったが、持ち前のバイタリティで真剣に仕事に取り組んだ。活版印刷の確かな技術が次第に評価され、徐々に多くの仕事を得ることができた。そして3年後の1967(昭和42)年、将来を見据え、富岡市へオフセット工場を建築、その後、印刷機が手差し機から機械式給紙へ移行した時期の1971(昭和46)年に三菱重工との最初のつきあいになる四六半裁単色刷オフセット印刷機“スーパービジュ”を導入した。この導入が成功してオフセット印刷が軌道に乗ってくる。次第に富岡市内で認められるようになり、地元商店関係のチラシなどの仕事が次第に増えていく。その後、DAIYAの2色機を導入し、オフセット印刷が活況を呈していく。
1977(昭和52)年、富岡の工場と下仁田の工場を合併し、富岡市内に新工場を建築した。この機に活版印刷を廃止し、オフセット印刷専業となる。
1989(平成元)年にDAIYAの菊全判4色機、1991(平成3)年にDAIYAの四六半裁判4色機、1994(平成6)年にNew DAIYAの菊全判4色機と、三菱重工の枚葉印刷機の導入が続く。1995(平成7)年には第2工場を増築し、ドラッグストアチェーンのチラシを引き受け、仕事量が急速に拡大する。
2000(平成12)年、商業用オフセット輪転機の導入が始まる。2002(平成14)年、三菱重工のB縦半裁判4色/4色輪転機LITHOPIA BT2-800SSSを導入するも、本社工場、第2工場ともフル稼働状態が続く。この頃、土地を取得。2005(平成17)年12月に新社屋が完成し、B縦半裁判5色/5色輪転機LITHOPIA BT2-800SSSを導入し、現在に至っている。 |