活版印刷による創業の出自を表す
「鋳造機」と「活版校正機」。
 戦後、活版印刷業として順調に発展していた同社は、1971(昭和46)年第一次オイルショックによる人件費高騰の影響を受け、業績が低下する。西井社長が同社の関連会社である大竹製版株式会社に入社したのは、このオイルショックの前年である。西井社長は凸版からオフセットへの切り替えを断行するとともに、カラー分解専門会社のジェシイ株式会社も設立し、社長となる。そして、1979(昭和54)年にはナニワ印刷に常務として入社。活版印刷からオフセット印刷への移行期に、労使交渉の会社側の責任者として労働組合との交渉に臨む。労働争議にまで及んだ交渉は、1年あまりで和解となり、労使関係はこれを契機に好転する。
 こうした中、同社グループは印刷業を取り巻くその時々の環境変化に対応すべく、変革を重ねていった。1955(昭和30)年に分離し、大竹製版として独立させた製版部門は、1990(平成2)年ネオデルジ株式会社に改称、プリプレスのデジタル化への歩みを先行してきた。カラー分解専門会社のジェシイもクリエイティブワークの新領域で挑戦を続ける。印刷部門は、母体となるナニワ印刷株式会社が活版印刷主体であったため、1960(昭和35)年にオフセット印刷工場としてナニワ美術印刷を創業し、1966(昭和41)年に法人化する。電算写植は、1982(昭和57)年日本電植としてスタートする。
 1999(平成11)年、このうちのネオデルジ、ジェシイ、日本電植が合併し、さらに2004(平成16)年、グループ企業すべてが合併し、NPCコーポレーションとなる。ちなみにNはナニワ、Pは印刷、Cはコミュニケーションを意味する。
 こうしためまぐるしいグループ企業の変遷は、オフセット化、デジタル化といった印刷産業を取り巻く時代の変化をいち早くとらえての動きである。
 では、NPCコーポレーションへの変化の狙いは何だろうか。西井社長は、2年ほど前から、「製造業からサービス業へ」と盛んに口にするようになった。これまでの変革は“製造業としての印刷会社”の変革であったが、“サービス業としての印刷会社”を作り上げることが必要で、そのために「人が関わる部分でアピールしていこう」との思いだ。
 「時代に合わせて変わっていく、変わらざるを得ないのが、“業態変革”です。“サービス業としての印刷会社”をもっと追求していけば、時代の先取りになると思います。お客様の立場に立って、もう一歩踏み込むことがサービス業だと思っています」
 サービス業でまず思い浮かぶホテル業などは、お客様との接点の点で大いに参考になるという。
 「サービス業とは、お客様をファンにするという行為です。印刷そのものについては、品質もコストももちろんこだわらないといけない部分ですが、その上にもうひと味、付加価値をつける人間は一人ひとり違いますので、そこを大切にしていきたいと思います」
 西井社長の目には、これからあるべき“サービス業”としての姿が映っているようだ。

プリプレスの品質を担うデジタル制作チーム。
 
サービス業としての中核となる営業ルーム。