印刷会社が集まる板橋区にある、中京印刷の営業所・工場。
 1958年(昭和33年)のある日曜日。東京浅草。澤田 針一氏は、人ごみの中を歩き回っていた。当時、印刷会社に勤めていた針一氏は、独立への思いを秘め、休みの日には浅草界隈を歩き、映画のポスターから割り箸の袋に至る印刷物を見ては独立した際の仕事先を探していたという。
 針一氏の仕事にかける情熱は熱く、日々印刷技術の向上に努めていた。針一氏の優れた力量を示すエピソードがある。
 あるお客様が大部数の印刷物を数社へ分散発注した際、いずれかの印刷会社が刷った印刷物に品質上の問題が発生した。その時、針一氏の会社が疑われることとなったが、針一氏はその印刷物を見たとたん、「これは自分で印刷したものではない」と明言したという。そこで、調べてみると、問題のあった印刷物は他の印刷会社で刷ったものであることが判明し、逆に一番印刷品質が良いものが針一氏による印刷物だったという。針一氏は、自分で印刷したものの特長を全部記憶していた。この事件を契機に針一氏の印刷技術は高く評価され、当時勤めていた会社と取引のあった大手印刷会社の幹部が針一氏の腕を見込んでくれ、応援を約束してくれた。
 1959年(昭和34年)、念願かなって針一氏は独立を果たす。中京印刷の誕生である。
しかし、当時は簡単に機械が手に入る時代ではなく、ローラーなどを集めてもらい、ようやく手に入れた四六全判の単色機からのスタートであった。
 澤田 博氏は創業当時の様子をこう語る。
 「小学6年生だった私は印刷機が大好きで、学校から帰ると勉強そっちのけで工場に入り浸っていました。父をすごいなと思うのは、当時も、私が成長した後でも、父が一度も印刷を失敗する場面を見たことがないことです」
 中京印刷には、針一氏を師と仰ぐ職人気質の印刷技術者が集まり、同社の印刷品質に対する評価はいっそう高まっていく。