19988年竣工となった石狩工場。
札幌市中央区、アイワード本社。応接室に現れた木野口社長は、企業発展物語の主人公から想像される精力的な人というよりも、温厚な紳士という印象である。まずは、ご本人から、これまでの歴史を語っていただいた。
アイワードの前身は、1965年創業の”北海道共同軽印刷“。創業から第一次オイルショックの1973年までは「経営理念や経営方針、経営計画がまったくないまま」商売をしていた時代だった。ところが1973年の夏、第一次オイルショックで経済成長が止まって、世の中が激変することになる。
1973年12月、社員20人、売上5800万円という規模の”北海道共同軽印刷“は、12月の年末手当が支払えないなどの経営危機に陥り、経営を強化する目的で、当時、北海道中小企業家同友会の事務局に勤務していた木野口氏が請われて就任する。
1974年1月に就任すると、待っていたのは労使交渉であった。実質的にトップとして臨んだ木野口常務(当時)は、膝を突き合わせた労使交渉の結果、年末手当の早期支給を約束し、あまりにも他社に比べて低かった給与を一気に倍にして世間並みにしなければ、この会社の将来はないと考え、これを断行する。
木野口社長は当時を語る。
全社員を集めて『給料を倍にするには、最低でも売上を倍にしなくてはやっていけないことは分かるだろう』と言ったら、みんな分かると言うんです。『覚悟はできている。ただ、やり方が分からない。あなたは経営のプロだから、きちんと指示してくれ』と言われました
労使の新しい約束が生まれ、そして、新しい挑戦が始まる。1974年12月の決算で人件費は73%伸びたが、売上も1億を越して84.6%の伸びを示し、労使互いに約束を果たすことになる。ここから木野口社長の取り組みが始まる。社員との真摯な話し合いのなかで経営指針を確立していく。
”印刷・出版を通して社会発展のお役に立とう“という経営理念、それと、”民主的に運営する“”自主的・自覚的に行動する“
”目標と計画を大切にする“という3つの経営方針を、この最初の年にみんなで論議をして決め、目的をもった企業としての活動が始まりました
そのときに、”お客様の期待にお応えする“という顧客満足を企業の中心的な考え方に決めている。
マッキントッシュやWindowsのDTPはお手のもの。
各種データ処理はもちろん、独自のシステム開発までも実現。
「短期目標は”世間並みの待遇をしてもつぶれない会社になろう“。第一次五カ年計画として、中期目標は”5年間で世間並みの企業になろう“と、目標を決めたことが力になりました」
世間並みとはどういう企業かをみんなで論議して、「そういう会社を見に行こう」ということになり、東京や大阪にも出かける。IGAS(国際印刷機材展)にも3人の代表を派遣する。そこで収集したカタログから当時、最新式のタイプ機・タイプレスを検討し導入する。タイプでも活版と同じ組み方ができるということで、北海道大学や官公庁で注目され、引き合いが増えてくる。
10年間で売上を10倍にして自社工場を持ちたいという、幹部の意思統一も生まれた。この思いは12年後の1985年、地下1階地上5階の本社工場(札幌市の現本社)という形で結実する。その後、本社の増築、大通工場の建設を行い、そして、1998年の石狩新工場の竣工へとつながる。